産後うつ乗り越えた⁉︎

産後うつを乗り越え第二子出産。産後うつ体験談と今の2人育児日記です。

長男を出産して 〜実家療養中〜

服薬して断乳して…

今までよく効いていた薬だから、すぐ良くなると思っていた。

しかし今までに体験したことないほどのうつ症状。

とりあえず頓服薬を飲みまくって(許される範囲でね)、壁を見つめるほどの状況は脱した。

しかし頓服なのでその調子だとすぐに薬がなくなり、また病院へ。

そんな状況を説明して、頓服で使ってた薬を常用で飲めるように増やしてもらう。

前から状態を自分で把握して薬をコントロールできると先生に認められていたので(?)先生もすぐに対応してくれた。

 

ちなみにこの時の常用は、パキシルCR錠12.5mgを夜だけ。

徐々に増やしていくため、最初はこれだけ。

頓服にコンスタン0.4mg錠。(のちに毎食後の常用)

はっきり覚えていないが、こんな感じだったと思う。

 

こうして、どうにかうつ症状は治まって来たものの、自宅に帰れる自信が戻るまでにはなかなか至らなかった。

 

発作を起こして、夜逃げのように自宅を出て来てしまった私。

今思えば主人が帰るまで、実家に帰るのを両親に一緒に自宅で待ってもらえば良かったのかもしれない。

帰って妻とかわいい息子がいない家。

主人は本当にやりきれなかったと思う。

今思えば申し訳なくて涙が出る。

 

しかし、その時に私はそんな余裕はなく、主人も私の状態を理解できるわけはなく

(結婚前にパニック障害については一応話していたし知っていたが、目の前で発作を起こしたこともなく、なんとなくしか理解してなかったと思われる)

完全に溝が深まった。

私がこんな苦しんでるとまでは思っていなかったように思う。

 

結局LINEでのやりとりは、お互い

どうせ私のことはわからないでしょ

というぶつかり合いばかりで、主人は土日も私や息子にも会いに来なかった。

その事が完全に帰れる自信を潰していた。

 

母は「それをどうにかしなくては家に帰れない」とやきもきし、なんとか間を取り持ってくれようとしていた。

母にも主人にも嫌な思いをさせたと思う。

私もだいぶ快方に向かって気持ちの余裕ができ、7月頃にはお互いだんだん歩み寄れるようになって来た。

 

そうして、「さていつ頃自宅に戻れるだろうか?」と思い始めた7月末、突然の転勤辞令が出る。

 

〜つづく〜

長男を出産して 〜実家に送還〜

2014年5月末、息子生後3カ月の目前、自宅へ戻ってから1カ月半、パニック発作を起こして実家へ戻った。

子どもの世話は両親が助けてくれる。

常に誰かいるから、私が倒れても大丈夫。

そうやって安心して快方に向かうと思っていた。

 

しかし、そんなレベルはとっくに通り越していた。

パニック発作は起こさなくても、うつ症状がひどくなっていた。

今まで悪い時でも思った事がなかった、死まで考えた。

 

こんな母親では一生子どもを不幸にするし、いない方が良いのではないか?

 

それからは何もかも嫌だった。

それまで見ていた朝ドラの主題歌を聞くのも嫌、何もかも嫌で耳を塞いで壁の模様を見ていた。

そしてムシャクシャして頭を掻きむしったり。

今思えばあれは何だったのかわからない。

でも「これがうつ症状ってやつだ」となんとなく自分でわかっていた。

 

それでも母に精神的に助けてもらいながら、母乳も与え続け、なんとか世話をしていた。

しかし、ひどくなる一方の症状に、とうとう以前からお世話になっていた精神科の病院に行く事にした。

母乳はあげられなくなるかもしれないが、母乳よりこの状況を脱して、家族3人で暮らせるようになる方が大切だった。

でも、それより何より辛くて死にたかったからだ。

 

病院までいつもは自転車で行っていたが、父が心配で車で送ってくれるほどの状態だった。

いつも1人で通院していたが、母は付き添おうとしてくれた。

でも息子を見ていてもらわなきゃいけないし、行ってしまえばそこは精神病院で誰かが助けてくれるから大丈夫だという確信があったので1人で行った。

 

やはり産後うつの診断(ほぼ自己診断で先生に申告した形だが)。

前から出してもらっている薬を飲む事になったが、やはり断乳が必要とのこと。

覚悟はしていた。しかし母乳をあげられなくなる淋しさと息子がかわいそうに思い、涙が止まらなかった。

最後の授乳はスマホで写真を撮った。

あと1年ほどすればみんな母乳をあげなくなるし、早かれ遅かれなのに…とその時は思えなかった。

ただひたすら息子に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

長男を出産して 〜パニック障害再発〜

自宅へ戻ってからは、きちんと帰ってきたので夫婦の仲も回復した。

しかし、体調はあまり良くないまま。

 

この頃、子どもが目覚めて授乳するのが憂鬱になり始めていた。

ミルクをあげればよく寝てくれていた。

それなのに

また起きた。授乳しなきゃ

の憂鬱が止まらなかった。

 

それと同時に、

私がしんどくて倒れたら、この子はどうなってしまうのだろう?誰が面倒見るのだろう?

という不安が絶え間なく襲ってきた。

 

実は私、10年ほど前にパニック障害を発症しており、何度も良い状態、悪い状態を繰り返している。

結婚当初もまだ薬を飲んでいて、断薬できた事で妊活を始めた。

ここで倒れたら、誰か助けてくれるのか?

私のパニック障害の根源は全てここにあった。

元々あまり体は丈夫ではなく、朝礼などで倒れる子だった。

「今日は元気だ!」という日はほとんどなく、頭やお腹、どこかたいてい調子が悪く不安を抱えていた事に起因する。

電車などの閉鎖空間で倒れたらどうしよう?の心配で、呼吸が出来なくなり始める。

信頼できる家族などが一緒にいてくれれば発作は起きないが、事情を知らない知人と一緒だとかえって悪化する。

電車はいつも各駅停車だ。

 

主人の仕事は、2週に1度ほど、1泊の出張。

普段は19時過ぎには帰宅するが、仕事は広い県内を車で走り回る営業。

緊急事態でも、すぐに帰れる保証は無かった。

 

ここで、パニック発作の予期不安がたびたび起きるようになる。

おまけに母乳があるから頓服薬も飲めない。

ますます不安になる。

 

そしてとうとう…自宅で1人でパニック発作が起きてしまった。

 

どうしたらいいかわからない。

心臓バクバク、冷や汗ダラダラ。

主人に電話するが、仕事中か出ない。

実家の母に電話すると、すぐに車で迎えに来てくれるという。

「2時間頑張れば…」

そう自分に言い聞かせ、どうにか耐えた。

フラフラで吐きそうになりながらも、合間に授乳もした。

 

そうして、実家へ帰る事になった。

主人が帰って来てくれたところで、翌日仕事に出ればまた同じ事なのだから…

長男を出産して 〜一時帰省療養〜

どうも貧血気味なフラフラが治らない。

疲れかもしれないし、1週間ほど実家へ帰る事にした。

気にくわない主人とケンカ別れのようになったまま。

でも、ちゃんと自宅に戻れるよう、体を元に戻そうと頑張った。

 

母に助けてもらい、少しはゆっくりした。

完母への挑戦は諦め(というか中断のつもりだった)、ミルクに頼りながら体を休める事を優先した。

 

実家の血圧計で血圧が低すぎたので(85/45とか)、昔から行ってる医者にも行ってみた。

しかし、医者で測ると低めではあるが、さほど低くは無い。

昔から自覚もある自律神経失調症なんだろうなぁ、と。

先生は

「精神的なものもあるかもしれないけど、母乳もあるからそういう薬は嫌でしょ」

と。とりあえず元気が出るよう、ビタミン剤をくれた。

どうにかそれで乗り越えられそうな気がした。

 

とりあえず無理はしない。

主人にもいろいろ助けてもらう。

 

そう肝に銘じ、少しは回復して、自宅へ戻る事にした。

長男を出産して 〜母乳神話〜

ここで産後うつの原因の一因となったであろう「母乳神話」の話を。

 

息子は母乳とミルクの混合だった。

産んだ病院でも母乳推進だったので、いろいろ指導を受けてたけど、体重低下もあり、入院中から結構ミルクを足していた。

退院してからも、毎回母乳を吸わせるけれど、ミルクも規定量近く飲んでいた。

母乳パッドもじんわり湿る程度だったし、ほとんど出てはいなかったのだと思う。

 

自宅で引きこもり中の私。

暇といえば暇。

何していたか覚えてないけど、多分暇だった。

 

ネット検索すると

 

誰でも母乳だけに出来る!

母乳で育てるのが1番!

 

というのが出てくる出てくる。

 

昔から真面目な私。

時間的に余裕はあるし、誰でも出来るんだったらやってやろうじゃないの。

 

と、昼間の暇な時間は母乳だけで頑張ってみる事にした。

片方10分ずつで、20分の授乳。

出ないわけではないのか、泣きもせずに吸い続ける息子。

授乳が終わって10分、すぐ泣き、また授乳。

この繰り返し。

 

ずーっと母乳あげてるじゃん、私。

でも、こうやってればそのうちジャンジャン出て、母乳だけでいけるんだよね。

そしたら、この子にはそれが1番いいんだよね。

ネットにそう書いてあるもん。

 

そんな感じで、数日頑張ってた。多分。

でも状況は変わらない。

 

体は疲れ、母乳が出ない事に悩み、「誰でも完母は可能」の言葉に振り回され…

いろいろと正常さを失っていったのです。今思えば、だけど。

 

 

今思えばバカみたい。

誰でも完母は可能かもしれない。

でも何もしなくて楽に出る人もいるのに、死ぬほど頑張らなきゃいけない人もいる。

人間不公平だけど、いろんな才能と同じで備わってるものが違うんだからしょうがない。

そこまで頑張って時間も精神も削って、頑張る事なのか?

もっと他に有意義に使えば良いんじゃないかな?

と今なら思える。

 

でも、本当は完母の人が羨ましい。

「どれだけ飲んでるのかわかんないんだけど、すごい飲んでるのか体重増えすぎて…」

とか言ってる人が恨めしい。

添い乳で寝かせられるとか羨ましすぎる。

今でもそれはそう。

でも勉強しなくても頭が良い人がいるのと同じ。

ある程度は努力で近付けても、無理なもんは無理。

 

うちの子はミルクで育ってるから、金かかってるお坊っちゃんなのよ〜

 

私は性格悪いから、人より良いとこを自信にしないと生きてけないの。

だから、「金をかけてやった」と思うしか無いんだろうなぁ、と。

長男を出産して 〜自宅に帰る その2 異変〜

長男との引きこもり生活。

たまたま徒歩5分のところに、保育園併設の子育て支援の施設はあるらしかったが、

赤ちゃんの日時は限られ、行ったところで何をするんだ…という気分で行く気になれなかった。

 

ある休日、家族で車で近所に買物に出かけた。

突然の腹痛、下痢。ここまでは体質的に良くある。

そして貧血。(下痢するとたまに貧血で倒れる)

赤ん坊を抱っこした状態。

とりあえず主人に投げるように赤ん坊を渡して、トイレへ駆け込む。

帰宅中の車の中は、貧血で冷や汗ダラダラ。

 

帰宅して落ち着いたものの、そのまま体調はイマイチだった。

ずっと貧血のような、血が通ってないようなフワフワした感じ。

次の休みに出掛ける計画も、体調が悪く、やめになった。

 

出かけたかったのになぁ

 

主人に言われた一言で、相当傷付いた。

私だって体調良ければ出かけたかった。

でも野外で暑いし、体が持つ自信がなかった。

 

今でいう「産後クライシス」?

 

そんな感じで、2人に溝ができてきた。

 

少し疲れが溜まってるのかも、と1週間くらい実家へ帰る事にした。

とは言っても車で2時間。

すこーし、実家でゆっくりさせてもらおう。

 

それを私が勝手に決めた事が、主人は気にくわないらしい。

 

何うれしそうなの? 

しんどくて面倒見れないなら、コウ(息子)置いて行けよ!

 

は?仕事で任せっきりで、私がしんどくても休めないくせに、置いていってどうすんの?

 

施設だってあるし

 

は?は?

信じられん言葉が出ました。

これで「この人には頼れないな」って。

とりあえずそんな状態のまま、当初の予定通りに実家へ帰りました。

長男を出産して 〜自宅に帰る その1 帰ってすぐ〜

主人の仕事で住んでいる地方都市。

誰一人知り合いはいない。

コンビニ徒歩5分、スーパー徒歩20分、小児科徒歩20分。

田舎にしては良い方かもしれないが、ここは車社会。

歩道無しで車がビュンビュン行き交うガタガタ道路を、ベビーカーや抱っこで歩く事がどんなに大変で怖かったか…

車は主人が通勤に使っていて、平日は家に無い。

買物は生協と週末の買出しで乗り切った。

 

こうして私は引きこもりになった…

 

でもすぐにゴールデンウィークがやってきた。

まだ結婚1年ちょっとの主人と息子と出掛けるのは嬉しかった。

主人の仕事関係の人だが、一緒に食事に行ったり。

まだ赤ん坊の息子を皆がかわいがってくれるのも嬉しかった。

 

でもホルモンバランスの変化か、無性にイライラすることもあった。

 

息子の節句の飾りを義実家が用意して下さったのだが、「送るのはガラスケースもあるし心配だから取りに来て欲しい」と言われた。

主人だけで良いとのことだったのだが、貴重な休みに片道2時間を簡単に来させようとするのに腹が立った。

今思えば、頂くのだからそれくらいは当然のことだったと思えるのだが、その時はとにかく義実家の事が嫌になった。

 

息子は相変わらず楽な子であったが、夕飯を食べるときに限ってよく泣いた。

常にどちらかが抱っこしているので、一緒に食事を楽しむ事は出来なくなった。

普段の生活で唯一人とのコミュニケーションが取れる食事時間がこれでは、毎日憂鬱であった。

いつか終わるとわかっているのに、その時はもう一生ゆっくりご飯も食べれないのか…と感じたのである。

(実際2歳になっても違う意味でゆっくりは食べれないが。笑)