産後うつ乗り越えた⁉︎

産後うつを乗り越え第二子出産。産後うつ体験談と今の2人育児日記です。

孤育て落ち込み中

7月末に高松に引越し、8月に片付け&帰省(初飛行機で帰省)、9月に息子コウの新しい幼稚園転園…

やっと落ち着いてきました。

 

幼稚園の送り迎えで何人か話すようになったものの、転園してきたとこだから少し距離あるっていうか。

全く知り合いのいないこの土地での子育て始まりました。

 

なんせ今まで東京、大阪に日帰りで出れるところにしか住んだことなかったし、本州出たことなかったし。

何かのイベント(コンサートとか展覧会とか)があっても近所には来ないのね、という田舎疎外感にたまに寂しくなります。

 

旦那の仕事も前より忙しく(ほんとか知らんが)、通勤1時間から10分になったくせに帰りは遅いし、休日もフラフラ出勤してるし。

泊まりの出張も多いし。

きっと地方の営業所は単身赴任の人とかが、寂しさ紛らわしに会社に残ったり来たりするから、それに釣られてるんだよね。ろくなことない!

 

いつも子どもを寝かせつけたい少し前に帰宅。

パパ好きコウは

「まだぱぱとあそぶ!ねない」

となるわけで毎日イライラ

いつ帰ってくるかもわからず、子どもたちを先に食べさせるべきか時計とにらめっこするのもイライラ

 

全く頼れる人のいない所に引っ越してきたのに、全く戦力にならん。

一昨日、ひどい腹痛でフラフラで子どもを幼稚園に送って行けず頼んだ時も

「抜けられない」

とな。30分あれば家戻ってきて幼稚園連れて行って会社行けますけど(怒)

(会社と幼稚園は激近)

 

転勤族の家族ってこんなにないがしろにされるんかね…

会社もポンポン地方に飛ばすなら、家族時間がもっと作れるようにちゃんとしないものかね!

苦労するのは奥さんと、転校させられる子どもばかり。

本人はどこの営業所行っても何人か知り合いいるからいいだろうけどさヽ(`Д´)ノ

 

というわけで、孤育て落ち込み中

 

って言ったけど、完全に旦那や会社への愚痴やな。

 

週末はゴルフだとさ(╬ ಠ 益ಠ)アァン??

車乗っていくんだろうなぁ。

車ないと雨で子供二人連れてどこも行けないんだよなぁ。

引きこもりさせられるのかなぁ。

ドタバタの近況メモ

さっきたまたま「授乳フォト」というワード見て殺気立ち(笑)、ブログの更新を思い出しました。

っていうくらい忙しくて忘れてた。

 

4月から私と産後うつを戦ってくれた息子も幼稚園に入園。

そんな矢先、4月末に6月1日付の転勤辞令。

 

幼稚園行き出したばかりですけど⁉︎

 

とりあえず私の重要な用事が6月末に大阪であるし、こうなったら1学期終わりまで幼稚園行くぞ!

と、2ヶ月弱の単身赴任送り出しを決意。

 

そんなわけでバタバタしておりましたが、いざ送り出してしまえば家族全体の引越しまで日はあるのでそこは落ち着き…

主人がいない日々を満喫(⁈)しております。

 

洗濯物少ないし、父親に甘える息子は良い子だし、帰宅時間に振り回されないし、ご飯適当でいいし(普段全く作れと言われてはいないけど、ここは私のこだわり)。

でも時々は手を貸して欲しい時もあるし、私が動かないとどうしようもないな…と少し憂鬱な時もある。

 

しかし、産後うつで主人の仕事中さえ家で1人でいれなかった私が短期間とはいえ単身赴任選ぶなんて!

3年前からは考えられないことです。

 

少しは叔母が近くにいるという甘えもあるかもしれない。

(実際こちらに来て2年半、一度もそういう意味では頼ったことは無いけど)

でも、なんとかなる気がした。

 

考え方の切り替えが上手になったのかな。

体調悪い時でも、主人がいたとはいえ電車乗れたしなぁ。

最近私すごいわ。

いやあれこれ考えても結論の着地点をちゃんと安全なところに持っていけるようになったわ。

 

そのノウハウを伝えたい。

 

あーでも熱しやすく冷めやすいので、更新が止まったりするのです。

気長〜に体験記書きます。

でもきっとまた怒涛の引越し&幼稚園転園があるので、余裕ないんだろうなぁ。

とりあえず「やらなきゃ!」って思うと心が苦しくなるから、気が向いたら書くことにしようっと。

 

 

本日はつぶやきのような更新になってしまった…すみませぬ。

長男を出産して 〜子育てサークル⁉︎〜

久々の更新になってしまいました。

特にうつ体験談、どれだけ更新してないんだ…

 

大阪へ来て、外へ出なくては!と何かきっかけを探し始めた。

近所の子育て広場(支援センターの小さい所)へ行ったりした。

でも「赤ちゃんの日」って決まっていて、まだ生後半年じゃ何も出来ないし、だからと言って母が楽しいわけじゃ無いし。

 

そんな時に、インターホンでいきなり子育てサークルの誘い。

玄関先でいろいろ聞いてみることにした。

気楽に集まって、子どもを他の人が見ててくれてる間に他の先輩ママとお話できる、という楽しそうなもの。

とりあえず次の週の会合に行ってみることにした。

 

当日、皆さん暖かく迎え入れてくれ、初めて他人に預ける。

確か1時間くらいだったが、心配〜 。

でも他の方とお話ししている間に、こんな子どものいない時間も良いなぁ、と思い始めていた。

 

なんだか個性的な人が多い集まりで、もう成人しているお子さんのいる方や、おばあちゃんって感じの人まで。

子育てサークルなのか⁈

なんか他にもいろんな活動していて、なんなのこの人たち?

変なややこしい社会福祉団体の名前もついてるし…

 

なんとなくその場で「入ります」と言ったものの、いろんな疑念が…

母に電話で話してみると、以前知人が入会していた会と判明。

その知人はいろいろ訳ありだったので、その会も危険だなぁ、とその日のうちに断りの連絡を入れました。

 

宗教ではないけど、ある意味そんな感じ。

まあその活動が良いと信じてる人は否定しないけど、とにかくただの子育てサークルじゃない感じなので。

また子育てサークル探しは、ふりだしに戻ってしまったけど。

 

でも、こうやって

何か参加したい!

外に出たい!

って思えるのは、数ヶ月前からは嘘のようなことで。

 

土日は家族でハイキングとかお出掛けもするようになり、すごく子育てに余裕が生まれて来た。

なんせ、キャリアーでハイキング行くんだけど、山道の途中でミルク飲ませてるくらいだから(笑)

 

さて、平日は何しようかな。

月曜から金曜まで毎日何もないよ。

何かメリハリ欲しいなぁ。

 

と、居場所探しはまだまだ続くのです。

いつになったら眠れるの⁈

たまには今現在の日常の話。

(というより、今日の、今の愚痴です)

 

今日は夕飯時から、長男の機嫌が絶不調。

食べず抱っこをせがみ、そのままワガママ放題。

旦那が甘いから要求に応えてDVD見せるも、昼寝してないので寝てしまう。

そのまま寝かせようとするも、起きてまた不機嫌最高潮。

 

ご飯を食べたかったといい(これは片付け)

パズルを自分で片付けたかったと言い(これはもう一回組み直してから片付けるハメに)

ケーキを食べるといい(昨日が私の誕生日で旦那が今日買ってきてくれた)

 

そんなこんなで22時半。

やっとケーキを食べ終わり、ご機嫌に。

 

機嫌が良くなると、今度はベッドで喋りまくって寝ない寝ない…

結局0時を回ったところで大人しくなりました。

 

もうヒックヒックなって咳込んで吐きそうなくらい泣いてて、やっと風邪治って咳がおさまってたから、泣いたら咳でるし、それで吐かれると困るしね…

しつけとか、生活リズムとかね、そんなこと言ってられんよ。

気にしてたらまたうつになる。

 

 

そして。

少しスマホでゲームして、さあ寝るか!と思った1時。

 

旦那の咳により、8ヶ月で夜泣きが始まった娘が目覚めて泣く。

そのまま眠りそうだったのに、うるさい鼻をすする音で、完全に目覚めギャーギャー泣き始めた。

 

これだ、殺意の芽生える瞬間(笑)

 

仕方なくミルクあげて…としてたら、

旦那の超デカいイビキ。

 

殺意MAX!!

 

娘は生まれた時からあまり寝ない子で、生後3ヶ月まで昼間は15分ごとに泣いてました。

夜も2時間で起きてました。

ようやく4〜5時間は夜中眠ってくれて、もう少しで朝まで眠れるか…と思ったら、生後8ヶ月目前で夜泣き開始。

1時間半寝て30分ぐずるサイクル。

 

そんなぐったり&イライラな最中の今日の出来事。

愚痴、すみませんでした。

このブログを書くにあたって…

産後うつについて詳しく記録したいと、長々と経緯を綴っていますが、

ここでこのブログを書くことへの思いと概略を書きたいと思います。

 

 

私は2014年3月に長男を出産し、出産後3ヶ月弱で産後うつを発症しました。

元々パニック障害を何度も断薬と発症を繰り返していたので、要素はあったのかもしれません。

考えすぎてしまう性格、母乳神話を始めとする母親像にとらわれすぎたことがきっかけであったと思います。

 

実家療養と投薬、夫の転勤による環境変化などにより、息子が1歳になる頃に断薬、通院終了。

そこから再び妊娠し、2016年5月に長女を出産。

 

上の2歳児のイヤイヤ期と、新生児の大変さと…と時々辛いこともあったけど、産後うつを再発せず元気にやってます。

もう乗り越えたと言えるかな?と思っているところです。

 

落ち着いた今、

同じように産後うつで苦しんでいる人、

母乳育児に苦しんでいる人、

子育て中で落ち込みがちな人、

そんな人に少しでも私の経験が励みになれば…と不特定多数に向けたブログを書くことにしました。

 

まだ小さい2人の子育て中なので、超合間を縫った作業です。

また、楽しいことばかりではない記録に、私の心が少し疲れちゃうこともあります。

無理のない程度に書き進めたいと思いますので、マイペースにお付き合いいただければ…と思います。

 

少し書き慣れて余裕が出て来たら、子育てのほっこりする話も書いていけたら…と思ってます。

 

子育て中、大変な皆さん!

何事も完璧を目指さずマイペースに。

自分の息抜きを見つけて、毎日楽しみましょう。

時々大声で泣いて、イライラして壁を蹴って…

それでもいいんじゃないかなぁ。

長男を出産して 〜大阪へ引越〜

荷出し&新幹線駅までの見送りは、両親に手伝ってもらい

次の日の荷受まで祖父の家に泊めてもらい

荷受やらたくさんの事を叔母に手伝ってもらった。

 

少し経った頃、叔母が教えてくれた近隣の心療内科クリニックへ行った。

初めてのところは本当に苦手で、息子もまだ6ヶ月だったので大丈夫か心配だったが

スタッフ皆さん温かいところで、すぐに緊張は解け、先生も淡々としてるがいろいろと親身になってくれた。

自転車で行ける範囲に、良いクリニックがあってよかった…

なんせ元々パニック障害持ちなので、状態良くない時に電車などで通うなんて無理だもの。

 

叔母も気にかけてくれ、時々夕飯のおかずを作って持って来てくれたりした。

逆に私も車に乗って、祖父と叔母の暮らすマンションまで会いに行けた。

たまに運転中不安になる事もあったが、深呼吸で乗り越えられる程度だった。

 

【精神的安心】

・馴染みがあって住みやすい(実家からは遠いが、小さい頃住んでいた&長期休みの度に来ていた)

・関西弁への安心感(実家の会話は関西弁だから、街中での会話もほっこり)

 

【環境の充実】

・買い物などに行けて、行動範囲が広がった(子どもをおんぶして自転車に乗れるようになり、しかも前の家と違って近隣にいろいろある)

・マンションの隣人は、2歳の女の子がいる家庭で、奥さんが地域の子育て支援などの情報をいろいろ教えてくれた。

 

 

 

よし!体調も良いし、息子も大きくなって来たし、孤立しないためにも、外に出よう!

買物だけでなく、何か知り合いを作るきっかけとか無いかなぁ。

 

と思い始めるほど、引越は良い方に作用した。

時期、転勤先、全てがちょうど良かったのかもしれない。

長男を出産して 〜転勤辞令〜

産後うつで実家にお世話になっている最中に、珍しく主人から電話。

 

転勤辞令出た。一緒に来て欲しいんだけど…大阪

 

主人の会社は、辞令が出るのは1ヶ月前。

3〜5年で転勤というのが一般的。

そろそろ来るとは思っていたけれど…このタイミングか…

 

実家は東京。今より遠くなるなぁ。

しかし!

私は7歳まで父の仕事で大阪に住んでおり、両親の出身は京都と奈良。

今も父方祖父が大阪、母方祖母が奈良に住んでおり、父の妹である叔母もいる。

 

というわけで、実家から離れるけど私にとっての田舎であり、好きなところだったから、なぜか少しウキウキした。

だいぶ体調が良くなって来ていたのもあり、

新しい土地で心機一転!

と思えるようになっていたのかもしれない。

また今の自宅で鬱々と過ごすよりは、何か世界が開ける気がした。

 

大阪の叔母は、心療内科クリニックの受付を20年もしており、たいそう心強かった。

理解もしてくれていたし、早速に大阪のクリニック情報を仕入れてくれたりした。

そんなわけで、叔母のすぐに駆けつけられる距離に住むことにした。

実際に呼出しはしなくても、その距離にいてくれる安心感が私には必要だったのだ。

(現に大阪に来て2年ちょっと、一度も叔母に助けを求めたことはない)

 

叔母の家のすぐの辺りは、あまり治安も良くないと言われる地域だったので、車で20分ほどの距離で家を探した。

昔住んでいた所にも近く、なんとなく馴染みのある辺りだった。

 

不安もあったが、憂鬱感はなく、ワクワク感の方が大きくなっていた。

また両親もそれぞれの親に会いに関西にはしょっちゅう行ってるので、むしろ今より我が家にも来てもらえるだろう、というのもあった。

 

とりあえずは引越し作業をしに、自宅に戻らなくては。

体調も薬で安定していたし、やる事があれば張り切って過ごせるもので、

自宅に戻ってからは引越し作業しつつ、息子の離乳食もあげ始めてみたり、意外と大丈夫に過ごせていた。

この頃にはパキシルのみで、頓服はほぼ使用せず済むほどに安定していた。

 

8月後半、主人が仕事引き継ぎのため1週間ほど大阪出張になった際には、引越し作業手伝いとで母に来てもらった。

そして8月末、とうとう引越しの日が来た。